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フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり)とは、3 以上の自然数 n について、x^n + y^n = z^n となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、という定理のことである。
長らくその証明も反例も知られなかったことからフェルマー予想とも称されたが、360年後にワイルズによって完全な証明が発見され、フェルマー・ワイルズの定理と呼ばれるに至る。

ピエール・ド・フェルマー(1601年 - 1665年)プリンストン大学にいたイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズは岩澤主予想を解決するなどして、もともと数論の研究者として有名な人物であった。
彼は10歳当時に触れたフェルマー予想に憧れて数学者となったが、プロともなってからはそうした子供時代の夢は封印し、フェルマー予想のような孤立した骨董品ではなく主流数学の研究に勤しんでいた。
ところが1986年、リベットがフライ・セール予想を解決したことにより、フェルマー予想に挑むことは、何と主流数学の一大予想に挑むことと同義になってしまった。
かつての憧れだったものが、今や骨董品どころか解かずには済まされない中心課題の一つになったのである。ワイルズはこのことに強い衝撃を受け発奮、正にフェルマー予想の解決を目的として、他の研究を全て止めて谷山・志村予想に取り組むこととなった。
但しこの際、彼は人々の耳目を集め過ぎることを懸念して、表面的には未発表の研究成果を小出しにすることで偽装し、谷山・志村予想の研究は秘密裏に遂行することとした。
ワイルズは、代数幾何学や数論の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、類数公式の導出に当り岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。
そこでコリヴァギン=フラッハ法に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階でプリンストンの同僚ニック・カッツの助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力でなしとげた(ここまでで七年が経過していた)。
彼がケンブリッジ大学で1993年の6月21日から23日にかけて三つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。
但し、その後の査読において、ワイルズの証明には一箇所致命的な誤りがあることが判明した。
この修正は難航したが、ワイルズは彼の元学生リチャード・テイラーの助けを借りつつ、約一年後の1994年9月、障害を回避することに成功し、1994年10月に新しい証明を発表。1995年のAnnals of Mathematics誌において出版し、360年に渡る歴史に決着を付けた。
なお、証明の過程では、まずはコリヴァギン=フラッハ法を用いたが、それでは不十分だと判明したので、以前に採用してから放棄していた岩澤理論を併用することで、最終的な証明が完成した。
引用Wikipedia
Author:ジュウジョウ
サイト名:十条メディアサイト
開設日:2008年5月16日
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